なぜ山に登るのか|そこに山があるから?登山の意味を考えた!

エベレスト初登頂に挑戦したイギリスの登山家「ジョージ・マロリー」。

初登頂挑戦前の記者会見で新聞記者とのあいだで交わしたやり取りが、1923年3月18日付のニューヨーク・タイムズで記事にされているそうです。

新聞記者:「Why did you want to climb Mount Everest?(なぜ、あなたはエベレストを登りたかったですか?)」

マロリー:「Because it’s there.(それがそこにあるので。)」

それ」とは当時まだ人類未踏の山だった「エベレスト」のこと。「直訳」するとなんともそっけない返事のように思えますね。

このやり取りが「なぜ山に登るのか?」「そこに山があるから」という哲学的な内容に「意訳」され、後世に残っているわけです。

もはや「誤訳」と言ってもいいレベルですが、ロマンティックで美しい登山の名言として、マロリーがエベレストに没したいまも色あせることない言葉です。

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●現代人のぼくが「趣味」で山に登る理由とは?

日本では老若男女だれもが登山を楽しめる現代。たかはし昇一も登山が好きなのですが、あくまで「趣味」のレベル。

個人的な野心にくわえて、国の威信がかかっていたことが強烈なモチベーションになっていたであろうマロリーとは事情が違いすぎます。

山に登る理由は「ひとそれぞれ」と言ってしまえばそれまでなのですが…ぼくは昔、「登山なんて理解不能」と思っていたんですよね。

きれいな景色はテレビや写真で見ることができるし、都会よりおいしい食事が味わえるわけでもないですよね。ピークハントだって完全に自己満足なだけです。

わざわざ道具交通費にお金をかけ、とても疲れる思いをしてまで「死の危険」すらある山に行く理由ってなんでしょうか?

①山には「都会にはない刺激」がある!

都会にはあってあたり前のものが山にはありません。携帯電話の電波も弱く、電気ガス水道コンビニといった社会インフラもなし。

でもそのような不便さとひきかえに「都会にはない刺激」が山にはあって、忘れていた感覚が鋭敏になる気がします。

美しいモルゲンロートアーベンロートダイナミックな雲の動き雄大な景色に目をうばわれ、川のせせらぎ小鳥のさえずり木々のざわめきに耳をすまし、土・緑・花のかおりを感じ、陽射しや風を体全体でうけとめる。

便利すぎる生活から一時的に離れることで都会で暮らすありがたみを再認識しますし、じぶんにとって大事なものを見つめなおすミニマリズム的な思想になります。

②山には「生きていることの実感」がある!

登山は、登攀技術を必要としない一般ルートでさえ年に何人もの死亡者が出るやや危険なアクティビティ

岩場のせまい尾根垂直に切り立つ鎖場など「死の恐怖」を感じるシチュエーションが多くありますよね。ガタガタふるえる寒さを感じたり、体力の限界に直面することも。

そのようなスリルある場面をくぐり抜けたとき「生きててよかった」と安堵するものです。不思議と都会では意識しない「死」を認識することで、逆にいま生きていることを実感します。

③山には「じぶんと向きあう時間」がある!

登山での運動は、登り・降りをくり返すことで優れたインターバルトレーニングとなりますが、ルールがなければ審判もいないので、戦うとしたら相手は己

山岳レースにでも参加しない限り、他人との「勝ち負け」がなくマイペースに楽しめるのも登山のいいところではないでしょうか。

山には都会にはない静寂で孤独な時間もたっぷりあって、黙々と歩を進めていると、次第に都会でしみついたノイズが消えて、視界がくっきりするような感覚になります。

いまこの一歩」に集中することで身体感覚に意識が向くことは、「マインドフルネス」や「瞑想」に似た心理的作用があるのかもしれません。

  1. 山には「都会にはない刺激」がある!
  2. 山には「生きていることの実感」がある!
  3. 山には「じぶんと向きあう時間」がある!

into the Wild」は、裕福な家庭に生まれ物質的に恵まれて育ったクリストファー・マッキャンドレスが世界の真理を求めてアラスカの荒野へと旅立ち、死にいたるまでの事件を描いたノンフィクション映画。

便利な都会での生活確固たる地位を捨てて、生きることの意味真の自由を探し求めたクリスに共感するのは、ぼくにも彼のような心の渇望があるからですかね。

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●登山は「エネルゲイア的な行為」で人生に似ている!

ギリシャ哲学者のアリストテレスは、運動を「キーネーシス」と「エネルゲイア」に分類しました。

「キーネーシス」は始点と終点がある一般的な運動で、できるだけ効率的かつスピーディー目的が達成されることが望ましいとされます。

一方の「エネルゲイア」はプロセス自体に意味があって、いまなしつつあることに価値がある運動のこと。

20世紀初頭に創設された「アドラー心理学」。オーストリア出身の精神科医アルフレッド・アドラーは「人生」をエネルゲイア的にとらえ「いまこの瞬間」を生きることを唱えました。

登山がもしピークハントのように「目的への到達」を重視するキーネーシス的な行為であれば、ヘリコプターで登頂すればいいですし、登頂できないことは登山の失敗を意味します。

ぼくにとって登山の目的はピークハントではなく、登山口に向かうまでの移動を含むプロセスそのものを「」として楽しんでいます。

いま、ここ」が充実している連続した刹那であって、ふと「いつのまにか高いところまで登って来たなあ」「ずいぶん遠くまで歩いて来たなあ」とふり返るまさにエネルゲイア的な行為

目標にこだわりすぎると、そこに到着するまでの道のり我慢を強いられるだけの退屈なものになってしまい、楽しむことができませんよね。

人生は「」ではなく「点の連続」。過去でも未来でもなく、いまこの瞬間が大切であるということが「登山」と「人生」ではとてもよく似ています。

ぼくの登山には目的地はないけれどその場にとどまりもしない。つまり「山に登ることそれ自体」に意味があるのでしょう。

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ABOUTこの記事をかいた人

たかはし昇一

30歳から3つの「と」(投資・登山・トレーニング)を習慣にしたら人生が変わった金融系サラリーマン!1985年生まれ、東京都23区内在住です。2034年までに金融資産3,000万円の「アッパーマス層」になります!「収入を増やす」「支出を減らす」「投資で増やす」をコツコツ実践中!